三吉神社の由来

三吉神社(尾浦城)概要: 三吉神社は鶴岡市大山に鎮座している神社です。三吉神社(尾浦城)三吉神社の創建等の詳細は不詳ですが嘉永元年(1848)大山騒動で軽罪で済んだ田中政春が、三吉大神の神意を悟り境内に800余本の桜や桃を植樹している事から少なくともそれ以前から鎮座していたと思われます。大山騒動とは弘化元年(1844)に当時、天領(幕府直轄地)だった大山、余目、丸岡地区が突如庄内藩の管理に移った為、大山の庄屋などを歴任した鈴木庄兵衛、田中三郎、墨井寛兵衛などが幕府に働きかけますが却下、その為それらの上役達が上記地区の農民を先導し大規模な一揆が発生しました。一揆は出羽国内の天領の農民達にも伝わり数千人規模まで拡大しました。結果的に一揆は鎮圧され主導者は重罪、約3千5百名が処罰されたと伝えられています。

慶応3年(1867)には前庄内藩主酒井忠発が大庄屋佐藤順太に命じて桜の植樹を三吉神社(尾浦城)大規模に行い一帯が桜の名所になっています。境内は戦国時代に当地域を支配した武藤氏の居城尾浦城の本丸跡で城山とも呼ばれています。三吉神社の本社は秋田県秋田市にある太平山(標高:1170m)を御神体(山頂に奥社が鎮座)とする神社で地方のものとしては珍しく秋田県内だけでなく東北や北海道などに信者を多数抱え分霊が数多く勧請されています。当社の拝殿は入母屋、桟瓦葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、屋根には鯱が掲げられ向拝木鼻には獏と獅子、欄間には龍、蝦虹梁の上には力士像の精緻な彫刻が施されています。祭神は大己貴大神、少彦名大神、玉依比女命。